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千葉地方裁判所 昭和52年(ワ)974号 判決 1985年3月29日

原告

曾根美津子

原告

曾根文江

右両名訴訟代理人

村上吉央

右訴訟復代理人

吉森照夫

被告

医療法人仁愛会真間川病院

右代表者理事

矢口勉

右訴訟代理人

畔柳達雄

右訴訟復代理人

阿部正幸

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告曾根美津子(以下、原告美津子という。)に対し金二四二二万六三二六円、原告曾根文江(以下、原告文江という。)に対し金一二一一万三一六三円及び右各金員に対する昭和五二年一二月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者の関係)

原告文江は、訴外亡曾根隆(昭和五年一〇月三〇日生、以下、亡隆という。)の妻、原告美津子は右両名間の長女であり、被告は肩書住所地において内科、外科、整形外科を診療科目とし、昭和三九年二月二〇日厚生省令第二〇号救急病院等を定める省令に基づき「救急病院」である旨の指定を受けた病院である。

2  (入院に至る経緯)

亡隆は、昭和四七年ころ、板金工事請負業を営んでいたものであるが、同年一〇月一九日午前一〇時三〇分ころ市川市若宮所在の工事現場で屋根葺作業中、誤つて仕事場(高さ約三メートル)より転落し頭部を強打したため、救急車で被告病院に搬送され、同日正午ころ入院して被告病院の診療を受けることとなり、ここに、被告病院と亡隆との間で診療契約が締結された。<以下、省略>

理由

一請求原因1の事実(当事者の関係)及び同2の事実(入院に至る経緯)のうち事故の発生時刻を除く事実は当事者間に争いがない。

二亡隆の症状及び診療経過

右争いのない事実に<証拠>を総合すれば以下の事実が認められる。

1  亡隆は、昭和四七年当時、東京都江東区古市場において板金工事請負業を営んでいたが、同年一〇月一九日午前一一時三〇分ころ、市川市若宮の作業現場で屋根張替作業中、誤つて仕事場(高さ約三メートルの屋根)よりコンクリートの地面に転落し頭部を強打したため直ちに救急車が呼ばれ、同日午前一一時三七分に訴外市川共立外科へ搬送されたが、同病院では亡隆には入院の必要あるもベット満床との理由で他の病院へ搬送するよう救急隊に依頼したため、同日午後一二時三分被告病院に収容された。搬送が開始されたころの亡隆は意識がはつきりしており、転落場所から救急車まで歩いていつたり、救急隊員に住所、職業、氏名等を告げるなどしていた。

2  被告病院に到着した亡隆は、直ちに同病院の外来診察ベッドで森川医師の診察をうけ、同医師は救急隊員、亡隆の同僚より事故の状況を聴いて診察したところ、亡隆には意識障害(半昏睡)があり、右側頭部に血腫(皮下血腫)があると同時に瞳孔は正円で左右差がなく、対光反射は両側ともやや弱く、反射は亢進していて右側が強く、バビンスキー反射が左側に出ていて、右肩に関節痛があり、血圧最高一八〇ミリ水銀との状況であつたので即刻亡隆を入院させた。以上の所見から森川医師は亡隆について頭蓋骨骨折あるいはさらに頭蓋内出血を予想し、右肩については打撲ないし骨折を考慮に入れ、頭部レントゲン撮影及び右肩のレントゲン撮影を実施した。レントゲン撮影の結果、亡隆の右側頭部には線状骨折が認められたので森川医師は頭蓋内血腫を予測し、続いて脳血管撮影を行なつたところ、前大脳動脈が造影されず、骨折に一致して圧排されている小さな無血管領野が認められたため、以上の検査が終了した午後二時ころ、森川医師は亡隆について硬膜外血腫であるとの診断を下し、血腫がそれほど大きくないと判断したので意識の状態即ち意識障害が入院時より深くなるかどうかをみたうえで手術適応を決めることとした。

3  森川医師は右診断に基づき医命事項を看護婦に指示して自分は外来の診察に戻り、看護婦によるブドウ糖、各種ビタミンの点滴、副腎皮質ホルモン(ステロイド製剤)であるプレドニン投与等がなされ経過観察が行なわれ、看護婦から亡隆にかなり興奮状態があるとの報告により、頭蓋内の出血を増強する危険性がある状態をさらに悪化させないよう鎮静剤であるカクテリンH及びフェノバールの投与が行なわれ、導尿留置、酸素吸入も看護婦によりなされた。

4  森川医師は同日午後四時三〇分ころ定例の病室回診を行ない亡隆を診察したところ、瞳孔の状態、麻痺の状態から考慮して意識障害が増強悪化していたので手術適応であると判断し、看護婦に手術の準備等させたうえ、午後二時ころ被告病院に到着していた原告文江の承諾を求めたところ、原告文江は森川医師の技量、被告病院の設備、手術で亡隆が救命できるのかについての不安から手術を拒否した。そこで、森川医師はおりから帰院した矢口医師に亡隆のこれまでの経過を話し、矢口医師も亡隆の診察をしたところ、かなり重態で手術適応であると判断したため両医師で原告文江の説得にあたつた。しかし、原告文江はそれでも承諾しなかつたため、矢口医師より原告文江に対し、市川市に在住し右両医師の出身大学(日本大学医学部)の講師である加藤医師に執刀を依頼し右両医師はそれを補助するという提案をしたところ承諾が得られた。この間の同日午後五時三〇分ころ、森川医師は亡隆を診察したが、瞳孔の対光反射が消失し、左下肢の麻痺と左上肢の不全麻痺があるなど病状は更に進行していた(鑑定の結果によれば、右の状態は脳ヘルニアを示唆するものである。)。森川、矢口両医師は右の提案に基づき加藤医師の自宅に連絡をとつたが、帰宅しておらず、約一時間後に東京都内にいた同医師に連絡がとれ、同医師が被告病院に到着したのは、同日午後九時ころであつた。この前、同日午後七時三〇分に森川医師は亡隆を診察したが、亡隆の瞳孔は開き気味になつており状態はかなり悪化していた。

5  加藤医師は、被告病院に到着後、これまでの経過を聞いたうえ亡隆を診察して手術適応であると判断し、術者を加藤医師、助手を矢口医師、麻酔を森川医師がそれぞれ担当して亡隆への手術を実施することとなつた。同日午後九時四〇分ころ、亡隆に麻酔がなされ、午後一〇時一〇分ころ手術が開始され、右側頭部の骨折線に沿つて皮膚を切開して穿孔しバールホールを開き、発見された硬膜外血腫を生理的食塩水で洗い流したところ、硬膜下にも血腫がみられたので硬膜にもう一か所バールホールを開き、両方の孔からネラトンカテーテルを入れそこから生理的食塩水を流して血腫を除去した。その際硬膜下血腫のあつた部位に脳挫傷を一部認めた。右のように血腫は除去され、他に硬膜下からの出血が認められなかつたので頭部皮膚を閉じて穿頭術を終えた。亡隆には呼吸不全があつたため、同日午後一一時五〇分ころ気管切開術が施行され、最終的に手術が終了したのは翌二〇日の午前〇時一五分、麻酔の終了が午前〇時三五分であつた。

6  手術後の亡隆の状態は、意識不明瞭、瞳孔は円形で血腫のある側にやや散瞳がみられ、対光反射がややにぶく、左側上肢に不全麻痺、左側下肢に麻痺があつた。森川医師は術後医命として感染を防ぐ抗生物質であるビクシリン、脳圧降下剤であるマンニットール、ビタミン剤、止血剤、安定剤、脳浮腫に有効な副腎皮質ホルモンであるプレドニンの投与、輸血、点滴、酸素の投与等を看護婦に指示し、医命に従つた処置が看護婦により実施された。同日の午前一一時には、亡隆は意識不明、瞳孔円形、対光反射が弱く上腕二頭筋及び上腕三頭筋のそれぞれの反射も弱く呼吸も不規則になつており、矢口医師によつて人工呼吸が行なわれたがその効果なく、亡隆は同日午後〇時五〇分に死亡した。

原告らは、被告病院の担当医師が作成した外来診療録(乙第一号証)、外科入院診療録(乙第二号証)が被告の主張に沿うように改ざんされたものであると主張するけれども本件全記録によつても右改ざんの事実を認めることはできない。

三頭部外傷患者の診療について

<書証>、医師森山昌樹の鑑定の結果、証人森山昌樹の証言によると以下の事実が認められ<る>。

1  頭部外傷患者に対する診断及び治療について

昭和四七年当時の頭部外傷患者に対する診断及び治療はおおむね以下に述べる方法で行なわれていた。

(一)  危険状態の把握

気道、呼吸、ショックの病態のみきわめ、全身表面の観察、外傷打撲の有無の点検をして危険状態を把握する。

(二)  救急措置

必要あれば、気道の確保、輸液等呼吸系と循環系の対策を行なう。

(三)  全身検査及び神経学的検査

(1) 全身検査としては、衣服を脱がせて体表の創傷、呼吸運動の状態、胸部の打聴診所見、腹部の聴触診所見のほか四肢の骨折を疑わせる所見の有無などを検査する。

(2) 神経学的検査としては、意識状態、耳・鼻からの出血の有無、瞳孔の大きさ・左右差、共同偏視の有無、眼振の有無、眼瞼下垂の有無、対光反射、角膜反射、眼底所見、四肢の運動、腹壁反射、腱反射、病的反射出現の有無をみる。この中で特に重要なのは意識状態の変化と瞳孔の左右差である。

(四)  尿、血液の最小限検査

全身打撲の患者の場合には、身体全体にどのような変化があるか不明のため、血尿の有無、尿量の経時的測定、貧血の有無、血液型の確認をする。

(五)  受傷情報

受傷の時間、その後の状態の変化、意識障害、けいれん発作、運動麻痺の有無等の情報を搬入してきた救急隊員などから聴取する。

(六)  レントゲン検査

頭部の単純撮影を三ないし五方向から行ない、胸部、腹部、四肢の写真もとる。

(七)  脳血管撮影の適応決定

(六)の所見により頭蓋内血腫が疑われる症例で(1)来院時に意識障害があり、瞳孔不同、腱反射、四肢の運動などに明らかに左右差がある場合(2)意識状態の変化に清明期が認められる場合(3)来院時、受傷からひき続いて半昏睡あるいは昏睡状態の場合に、熟達者が施行する。

(八)  本格的治療方針の決定

頭部外傷の急性期における本格的治療方針は、ただちに手術療法を行なうか、観察しながら積極的に非手術療法を行なうのかあるいは手術の可能性に対処しつつ後者の方法をとるかがあり、このうちどれをとるかを早急に決定する。

2  頭蓋内血腫の診断について

外来に搬入された頭部外傷患者を診察して以来、医師が常に考えておかなければならないものは頭蓋内血腫であり、急性頭蓋内血腫は放置すればほぼ確実に死亡する。急性頭蓋内血腫の特徴は、進行性意識障害と脳圧迫による瞳孔不同、共同偏視、片麻痺などの局所症状であり、この診断については患者の意識状態と神経学的所見の時間的変化が何よりも大切なものとなる。

(一)  急性硬膜外血腫について

急性硬膜外血腫とは、頭蓋骨と硬膜の間に血腫を形成したもので、その原因としては骨折によつて硬膜動脈あるいは硬膜静脈が切れてその部分から出血する場合、静脈洞の外壁が破れて出血する場合、頭蓋骨の板間静脈から多量に出血する場合、衝撃により骨と硬膜の間にずれを生じ、導出静脈その他の血管の損傷部位からの出血などがあり、症状としては進行性意識障害、眼徴候と四肢の麻痺がみられ、一般的にははつきりした意識清明期がみられることが多い。治療方法としては血腫除去以外になく、術後の成績は他の損傷合併の有無、一般状態によるほか、血腫形成の速さ、血腫形成による脳圧迫の強さと圧迫をうけた時間などに関係する。

(二)  急性硬膜下血腫について

急性硬膜下血腫とは、硬膜下に血腫を形成したものをいい、脳表面の動脈、静脈の損傷、大脳表面から静脈洞に注ぐ橋静脈の損傷、静脈洞の損傷、既存の脳動脈瘤の外傷による破裂によつておこり、成人では脳実質損傷による出血のことが多い。急性硬膜下血腫の多くが重篤な脳損傷を伴つており、受傷直後から意識障害があり、急速に意識レベルが低下していく。意識清明期がみられる場合は少なく、あつてもその時間は短い。症状としては意識障害、瞳孔不同、片麻痺、呼吸障害などもしばしばみられ、治療方法としては手術による血腫除去とステロイド製剤の投与などによる脳浮腫対策が中心となるが、術後の死亡率は割に高く、救命しえても重篤な後遺症を残し、日常生活に支障をきたす場合が少なくない。

3  頭部外傷の診断から手術の施行に至るまで

(一)  頭部外傷患者に対する緊急開頭術の適応を決定するにあたつては、レントゲン撮影、脳血管撮影などの補助診断の他、経時的な意識障害の進行増悪、神経学的所見、全身状態の変化を加味してなさなければならないが、その決定に至るまでの間マンニットール等の脳圧降下剤、脳浮腫に対するステロイド製剤、気道の確保、酸素テントの使用等は脳ヘルニア(頭蓋内血腫や脳浮腫によつて意識障害が増悪する場合には側頭葉の一部である海馬回釣が天幕と中脳との間に落ちこみ、脳幹網様体を圧迫して脳幹嵌頓を起し呼吸停止等を惹起すること)出現、予防のために必要な加療行為である。

(二)  この段階においては患者の意識障害の把握が重要であるからそれを助長もしくは被覆してしまう薬剤の使用は好ましくないが、患者が暴れたりするような意識状態の下では、鎮静剤としてのフェノバール、カクテリン等の投与も可能であり、これらの薬剤を投与してもその薬効を知る医師が経過観察をすれば、神経学的チェックは可能である。

4  開頭手術について

(一)  急性硬膜外血腫と診断して開頭手術をする場合は骨折部位を中心として皮膚切開をし、骨孔(バールホール)を開ける。硬膜外血腫では半凝血塊とともに血液が流出してくるが、大量の凝血塊がある場合には、ヘラや匙あるいは吸引管で除去するか、バールホールを拡大して血腫を可及的に多くとり、硬膜の出血点を探して止血する。

(二)  急性硬膜下血腫の場合にあつては、① 医学上多量の出血を覚悟して積極的に大開頭して手術を進める、② 単に洗滌のみにとどめる、③ 急性硬膜下血腫の手術結果はよくないから手術を行なわない、という考え方がある。洗滌手術をする場合には、バールホールをあけ、硬膜をとおして暗紫色のものがみえれば、硬膜下血腫が存在するので硬膜切開する。この場合、血腫内容が流動性であればさらに対孔を開けて硬膜を切開し、ネラトンカテーテルを挿入して洗滌する。

5  術後措置について

手術後は感染予防、術後の小出血に対する各種止血剤の投与の他、頭蓋内血腫、呼吸障害、水分電解質代謝異常の併存により増悪する脳浮腫に対し強力な脳浮腫治療を行なう。脳浮腫に有効な薬剤としては滲透圧性脳圧降下剤といわれる高張溶液類と副腎皮質ホルモンであり、前者にはマンニットール、後者にはデキサシロエソンがある。

6  頭部穿頭術を行なう病院の人的、物的設備について

(一)  人的設備について

開頭術に熟達した脳神経外科医一名、手術助手を勤める外科系医師一名、麻酔担当医一名の医師を必要とし、看護婦は手術介助を行なう器械出し担当者一名(手術場勤務の経験を有する者)、手術場内外の手術行為の介助を行なう外回り担当者一名の最低限二名を必要とし、術者、麻酔医、手術器械出し看護婦は専門的経験と教育を有すべきであるが、昭和四七年当時では日本脳神経外科学会認定医総数は四四二名と極めて少なく、大学病院又は官公立病院以外に常勤脳神経外科医はなかつた。そのため穿頭術について、脳神経外科学会の認定医が右の体制下で執刀することは望ましいことではあつたが、それ以外の医師が右の体制をすべて整えずに執刀することもやむをえない状況であつた。

(二)  物的設備

(1) 閉鎖性循環式麻酔器、酸素、麻酔用ガス

(2) 電気メス、吸引器

(3) 開頭器具一式

が必要であり、昭和四七年当時の外科系救急指定病院には備えられていたところが多い。

四被告病院の責任

一ないし三項に認定した事実を前提として、被告病院の責任の有無を検討する。

1  術前措置及び開頭手術の適応決定について

前記二、三1記載の事実によれば、被告病院の担当医師である森川医師は、亡隆に対して全身検査及び瞳孔、対光反射、反射、バビンスキー反射等の神経学的検査をした後、頭蓋骨骨折、頭蓋内出血を予想し、補助診断法としての頭部レントゲン検査、脳血管撮影を施行しており、昭和四七年当時の脳外科医師としてなすべき適切な診断方法をとつていたということができる。もつとも、右認定の森川医師の行なつた神経学的検査は、三1(三)記載の神経学的検査のすべてを充しているとはいえないが、その検査の目的からみて三1(三)記載の全検査が要求される趣旨とは解し難いのであるから、直ちに神経学的検査を怠つたという結論を導くことはできない。

原告らは、脳血管撮影の終了した午後二時までには手術適応を決定するべきであつたと主張し、鑑定の結果によれば、前記頭部レントゲン検査、脳血管撮影の結果からは、右前頭部側頭部に横に走る線状骨折線を中心とする無血管野、大脳右半球頭頂部から側頭部にかけての頭蓋内占拠物の存在、頭蓋内圧昂進を示す脳血流の遅延がみられ、右所見からは骨折部位近傍での硬膜外血腫が疑われ、その周辺の脳挫傷、硬膜下血腫の併存も示唆されたといえ、森川医師もこの段階で硬膜外血腫との診断を下したのであるが、証人森山昌樹の証言によれば、レントゲン検査、脳血管撮影というものはあくまで補助診断法の一つであり、意識清明期のある場合は、頭蓋内血腫の疑いがあれば、直ちに手術適応になるものではなく、しかも右結果による亡隆の血腫は直ちに生命を脅かす大きさではなかつたことが認められるから患者の経時的な意識障害の進行増悪、神経学的所見、全身状態(血圧・呼吸・脈)の変化を経過観察したうえで手術適応は決定されなければならず、森川医師はそのため看護婦に経過観察及び医命事項として酸素投与、輸液の開始、ステロイド製剤としてのプレドニンの投与を指示し、看護婦からの経過報告を聞いたうえ午後四時三〇分には亡隆の症状増悪に対処するため手術適応の決定をしているのであつて、午後二時の段階で手術適応の決定をしなかつたことが、過失であつたということはできず、また、医命事項として適切な薬剤投与も行ない、亡隆に対して午後四時三〇分の定例回診のほか、午後五時三〇分、午後七時三〇分にも回診をしているのであるから、術前に不適切な診療行為があつたということもできない。

2  転医について

原告らは、亡隆に対する手術適応の決定の時点で被告病院には人的、物的設備が十分でなかつたから、十分設備の整つた病院へ転医させるべきであつたと主張するが、前記のとおり昭和四七年当時は熟達した脳神経外科医、看護婦の少ない時期であり、証人森川英雄、同矢口修、同森山昌樹の各証言及び鑑定の結果によれば、当時、森川医師は被告病院において穿頭術を二例実施した経験がある外科医であり、矢口医師は加藤医師の助手として五〜六例穿頭術を経験した外科医であり、被告病院の物的設備も基準を満たしていたものと評価でき、また、前記のとおり、亡隆の頭蓋内血腫は手術適応の決定の時点で進行していて早急な手術をする必要があつたうえ、鑑定の結果によれば、昭和四七年当時被告病院の周辺には常勤脳神経外科医を有する病院は少なく、仮に転医させるとしても相手病院の受入状況も考慮せねばならず、患者を搬送するにあたつての危険も考えると森川、矢口両医師により被告病院において手術は十分可能であると考えた被告病院の措置が不適切であつたということはできない。

3  手術の遅延について

原告らは森川医師が手術適応の決定をしてから午後一〇時すぎまで亡隆を放置したと主張するが、前記認定のとおり、手術が遅延したのは亡隆に意識障害があるためその妻である原告文江に承諾を求めたところ、同人がこれを拒否したことにより加藤医師の応援が必要となつたことによるのであつて、この遅れは手術を施行するにあたつて必要な患者もしくはその親族の承諾をとるため及び加藤医師の来院を待つたために生じたものであるから、被告の責に帰すべきものということはできない。

4  輸液について

原告らは森川医師が亡隆に対し脳浮腫についての警戒を怠り、六時間以内の間に二五〇〇ミリリットルの水分の投与をしたと主張するが、森川医師は脳浮腫に対する治療としてステロイド製剤であるプレドニン、脳圧降下剤であるマンニットールの投与を行なつており、また、同医師のなした輸液が不適切であつた事実を認めるに足りる証拠はない。

5  手術の不適切について

被告病院は原告らの手術自体の不十分さに対する主張の提出が時機に遅れた攻撃防禦方法であると主張するが、右主張の提出がたとえ時機に遅れたものであるとしても、これがため訴訟の完結を遅延せしむべきものであり、かつ、この点について原告らに故意または重大なる過失があつたことについては、いまだこれを認めることはできず、被告病院の右申立ては採用できない。

亡隆に対する手術は、前記認定のとおり血腫も除去され、他に硬膜下からの出血が認められなかつたのであるから、この段階で手術を終えることは適切であるというべきで、手術の不適切をいう原告らの主張は採用できない。

6  術後措置について

原告らは手術終了後も被告病院は適切な診療をなさなかつたと主張するが、前記認定のとおり、被告病院で術後投与された薬剤は、脳浮腫等術後予測される事態防止に必要なものであり、その他の措置も適切な診療というべきであつて、原告らの主張する術後医命で指示された薬剤を一気に静脈注射してしまつたとの事実を認めるに足りる証拠はなく、原告らの右各主張は採用できない。

四結論<省略>

(裁判長裁判官荒井眞治 裁判官藤村眞知子 裁判官小野洋一)

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